ハルの笑顔はヒマワリの花

私の大切な息子は知的障害を伴う自閉症でした。5年間という短い人生でしたが、彼はたくさんの宝を遺してくれまいた。

息子ハルの5年間の様子を紹介しています
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今日から私は自閉症児の母です

ハルが大学病院で自閉症と診断された後の私の気持ちを書こうと思います。

診断を下されたのは、もうずいぶん前なのに、いざ当時のことを書こうとすると、キーボードを叩く指が止まってしまいました。それくらい、子どもが発達障害だと診断されることは、親にとって重たいことで、それでも乗り越えていかなくてはいけないことなのです。

大学病院で自閉症と診断された瞬間から、私は自閉症児の母となりました。

インターネットで調べても、自閉症のチェックリストに当てはまったので、覚悟はしていたはずなのに、先生に

自閉症のグループに入っています」

と言われた時の絶望感といったら、未だに忘れることができません。私の中では、すでに「この子は、きっと自閉症だ」と確信めいたものがあったのに・・・。これまでは、「発達がゆっくりな子」だったのが、この日から、ハルは、「自閉症児」となったのです。

自分が、障がいを抱えた子の母になるとは思っていませんでした。誰しもそうですよね。「発達障害を抱えている子は、ちゃんと育てることができる親の元に生まれてくるはず・・・」と何の根拠もありませんが、そんな風に思っていました。私は、きっと育てることはできないから、障がいを抱えたこの母になることはないと思っていました。

でも、違いましたね。神様は、私にも育てることができると思ったのでしょうか?育てるべきだと思ったのでしょうか?

何だかわかりませんが、ハルは障がいを持っていました。診断を受けてから、毎日のように泣きました。

どうして、この子は障がいを持っているのだろう。

妊娠中にインフルエンザに罹ったからだろうか?

私の日頃の行いが悪いのだろうか?

悪いことしか浮かんできませんでした。夫は、私の想いを受け止めることができないと思い、思いをさらけ出すことはできませんでした。実家の両親は、すでに亡くなっていたので頼ることはできません。親子教室の先生のことは信頼していましたが、自分の想い全てを話すことはできませんでした。

 どれか一つでもできたなら、少し楽だったのかもしれませんが、できなかった私は、真っ暗闇の中を1人彷徨っていました。辛いけど、平気な顔をして親子教室に通っていました。周りのお母さんたちは、お子さんと笑顔で遊んでいました。今になればこんなことは思わないのですが、みんなお子さんの障害を受け止めることができているんだな・・・と感じていました。私は・・・正直、笑えていたのか、わかりません。本当に地獄のような日々でした。でも、目の前のハルは、いつもと同じように楽しそうに遊んでいました。

  そう、いつもと変わらない日々。

  自閉症と診断されたって、ハルはハル。

 これまでと変わらない。

 苦戦しながらもオムツを履こうとしている姿を見ていると、自閉症という診断名ばかりに気を取られて、目の前でゆっくりながらも成長していくハルを見てあげることができていないことに気付きました。

そうか、もう前を向くしかない。

 ハルは、私を選んで生まれてきてくれたのだから、精一杯育ててあげないといけないんだ。ハルは、私がいないと生きていけないんだ。私がしっかりしないと。

 そう言い聞かせ、とにかく前を向き歩き始めました。

 見通しも悪く、真っ暗な道だけど、そのうち開けてくるはず。

 そう信じて。

そして私は、自閉症児の母ではありません。ハルの母です。

そう思うことができるまでは時間がかかりました。私はどちらかと言うと、物事をプラスに考えるので、その時間は短かったかもしれませんが、何年間も悩み続ける方もいらっしゃいます。

 悩んでいいじゃない。

 落ち込んだっていいじゃない。

 泣いたっていいじゃない。

 それは、子どものことを一生懸命考えている証拠。

  きっと、あなたは素敵なお母さん、お父さんです。 

弟を小学1年生で亡くした長男の想い

自閉症の息子が生きた5年間の軌跡~ハルの笑顔はヒマワリの花~」に来ていただきありがとうございます。

 ハルママです。

私の次男のハルは、2012年に5歳のお誕生日直前に亡くなりました。

ハルが亡くなった時小学校1年生だった長男は、中学1年生になりました。

ハルが亡くなってから、初めて長男が学校に登校する日、私は長男を学校まで送っていき、校長先生と担任の先生とお話をしました。

 校長先生は、長男の様子などを聞いてくださり、

 「精一杯フォローしていきます」

 と言ってくださいました。

長男の学年では、担任の先生から長男がお休みしている間に、弟であるハルが亡くなったことをお話してくださったそうです。 中には、涙を流し悲しんでくれたお友達もいたそうです。そして、長男が学校に出てきた時は、「いつもと同じように迎えてあげましょう」とお話してくださったそうです。 このような配慮があったので、長男はいつもと同じように学校生活を送ることができました。

 ただ、長男の気持ちが心配でした。

 小学校に入りたての長男が、ハルの死を受け止めることができるのか?

 まず、理解ができているのか?

 ハルが通っていた療育園の園長先生とは、今でも交流があるのですが、 当時、園長先生は「小学校1年生だと、まだ抽象的なことを理解するのは難しい場合もある」

 と言われていました。

抽象的な理解って、10歳前後からできるようになるのですよね。勉強にしてもそう。

 4年生からは、抽象的な概念が出てきて、つまずきを感じるお子さんが多くなるそうです。 道が逸れそうなので、またこの話は別の機会に。

抽象的な事柄・・・ここでは、「死」ですよね。

もちろん自分でも体験したことがない。

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