ハルの笑顔はヒマワリの花

私の大切な息子は知的障害を伴う自閉症でした。5年間という短い人生でしたが、彼はたくさんの宝を遺してくれまいた。

息子ハルの5年間の様子を紹介しています
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亡くなった弟は、いつも太陽みたいに僕たちを見ていてくれている【6歳で弟を亡くした兄の言葉】

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 ハルのお兄ちゃんの人生を振り返りたいと思います。 この10年、いろいろとありました。 たった一人の弟が亡くなるという大変な思いをしたお兄ちゃん。 

受け止めることができるか? 

精神的には大丈夫か?

 いろいろな面で心配をしていましたが、 毎日元気に過ごしてくれています。

昨年のお盆時期に「お盆だしハルちゃん近くにいるかな?」 と聞くと 

 ハルは、お盆とか関係なくいつも近くにいるんやで

 と言ってくれました。

  そんなお兄ちゃんにいつも励ましてもらっている自分が情けないです。

 もっと強くならないといけないな・・・と思っています。

 

お兄ちゃんの出産時のエピソード

話は、お兄ちゃんの話に戻して・・・

 お兄ちゃんは、予定日より2週間早く生まれました。

 初産だったので、予定日より遅くなるかと思っていたので、驚きました。

 しかも、その日は、私の母の命日の次の日。

 朝起きると、お腹の張りがいつもより強く、ちょうど検診日だったので病院に連絡をしてみました。

 「予約時間より早く来てください」

 と言われたので、朝一に行くことに。

 いつものように診察を受けると、お腹の張りが強いから、

 「お腹の張りや赤ちゃんの心音を調べましょう」

 と言われ、産科病棟に移動しました。 

そして、結果は、

 「お腹の張りが15分に1回あるし、張りも強いね。 

多分、一旦家に帰っても、すぐに来ることになるだろうから、入院しようか」

 と言われました。

 そして、入院したのですが、

 「陣痛がくるように、病院内をウロウロしておいて」

 と言われ、ウロウロしました。

 ウロウロしてたけど、陣痛が来る気配はなし。

しかも、私自身医療従事者なので、病院でウロウロしていると、知り合いのメーカーさんに出くわしたりして、こっちはノーメイクで、パジャマ姿だから恥ずかしかったです・・・。

 夕方になり、主治医が

 「まだ生まれないだろうから、僕は一旦帰るから」

 と帰っていった。

 まぁ、主治医が帰ったところで、産科の医師はたくさんいるので構わないんだけど・・・。

 「そうか、今日中には無理か・・・」

 と思っていたら、急にお腹の痛みが強くなってきて、夕食も食べることができない状態に・・・。

 これは陣痛だな・・・と思って時計を見たら、10分間隔。

 主治医は、今日中には生まれないと言っていたから、この痛みが明日まで続くかと思うと、耐えられるか心配になってきた。

 そんなことを思っていたら、あれよあれよというまに5分間隔に。

 そして、お手洗いに行った時に、「パンッ!!」とお腹の中で風船が割れるような感覚が・・・。

 「えっ??何今の??」

 と確認しても、血が出ているわけでもない。

 「あっ、破水したんだ」

 というのが、初めての私でもわかりました。

 そこからは、あれよあれよという間に、陣痛室に行き、分娩台へ・・・。

 分娩台に上がってからは、10分程で生まれてきてくれました。

 結局、主治医は間に合いませんでしたが、当直の医師に処置をしてもらった後に息を切らしながらきてくれました。

 元気に生まれたけど、母乳が・・・

3090gで生まれた長男。すくすくと大きくなってくれました!と言いたいところですが、私の母乳が出にくかったのと、息子が上手く吸うことができなかったので、授乳が上手くいきませんでした。

でも、ミルクにはせず、母乳を飲ませ続けていたら、母乳の出も良くなり、息子の吸う力もついてきて、うまくいくようになりました。

母乳にこだわったのは、夜中にミルクを作るのが苦になりそうだったから。

なんて理由だ!と思われるかもしれませんが、

・完全母乳にすると哺乳瓶を拒否することもあるから、ミルクを飲ませて寝かしつけるとか他の人に預けるといったことがしにくくなるかもしれない・・・

・夜中に何度も起きる

当時の私は、そのことよりも、夜中にミルクを作ったり哺乳瓶を消毒したりする方が苦だったのでしょうね。

 あの日から、10年。

 生意気なことばかり言うけど、可愛い息子です。

 お兄ちゃんには10年を共に過ごしてきたものがあります。

 それは、タオルケット。

 大好きなタオルケットを抱いているお兄ちゃん。

赤ちゃんの時にベビーベッドに敷いていたものなのですが、

 寝るときは、そのタオルケットを持って寝ています。

 もうね、色もはげて、糸も抜いたりしているので、ボロボロです。

 でも、落ち着くんでしょうね。

 そんな様子を見ていると、まだまだ子どもだな・・・と思います。

弟を亡くすという悲劇

 まだまだ子どものようですが、やはり同い年のお友達は経験していないこともたくさんしてきたので、妙に物分りが良い時もあります。

 まず、弟が障がいを持っていたことは、お兄ちゃんにとっても影響が大きかったように思います。

 幼稚園の年長さんになると、同級生のお友達の弟妹が入園することが多かったです。

 うちも2学年差ですし、多いですよね。 

お友達の弟や妹が同じ幼稚園に入園してくるけど、ハルは入園してこない。

 それでも、お兄ちゃんは、

 なんでハルは同じ幼稚園に入園しないの?

 とは聞いてきませんでした。 

ハルは年々少から療育園に通っていたのもあると思いますが、おしゃべりができず、じっとしてられない弟が、自分と同じ幼稚園に入園しても楽しくないというのを理解してくれていました。

 実際は、きっと周りのお友達のように一緒にハルと一緒に通いたかったのだと思います。

 でも、そのようなことは、一言も言いませんでした。 

そして、やはり一番大きな経験は、ハルを亡くしたこと。

 当時、お兄ちゃんは小学1年生。 

ハルの死を理解できないかもしれない 

そんな風に思っていました。

 でも、ちゃんと理解していました。

 ハルが亡くなった日、私たち大人は悲しんでいる暇もなくバタバタと動き回っていました。 

ふと、仏間を見ると、お兄ちゃんはハルの側に座り、優しく顔を撫でていました。

 その姿を見ていると、涙が止まらなくなってきました。

 お兄ちゃんも辛かっただろうけど、泣きませんでした。

 お通夜でも告別式でも、父親と一緒に立ち、参列者の方たちにお礼をしていました。

 ハルのお通夜、告別式には、葬儀屋さんの担当の方も 

「こんなに参列者が多いお通夜は初めてです。 

しかもお通夜の最後まで、こうやって皆さんが残ってくれるなんて、 経験したことがないです」

 と言われるくらい、参列してくださる方がたくさんいました。

 いつもなら「疲れた~」「お腹すいた~」「眠たい~」なんてすぐ言うお兄ちゃんが、

最後まで立って頑張ってくれていたのは、嬉しかったです。

 でも、いろんな思いを出せずに、涙も我慢していたのか・・・

 それが溢れる時が来ました。 

ハルが入った棺が、火葬炉に入る瞬間、堰を切ったように泣き出しました。

 その前に私が泣き崩れて立てなくなっていたのですが、お兄ちゃんの泣き声を聞き、

 「私がこれじゃだめだ。お兄ちゃんを守っていかないといけないのに」

 と立ち上がり、お兄ちゃんを抱きしめました。

 私自身、両親を亡くしているので、肉親を亡くした辛さは理解できるのですが、私には兄弟姉妹もいなかったので、弟を亡くしたことも、しかも6歳という幼い時にこのような経験をしたことがありません。

 そんな私にお兄ちゃんの気持ちを理解してあげることができるのだろうか・・・?

 自分の気持ちの整理もできないのに・・・。 

と思っていました。 

本当に情けないのですが、私はお兄ちゃんに支えてもらっていたのかもしれません。

 「ハルちゃんは、ずっと側にいてて、太陽みたいに僕たちを見ていてくれてるんや!」

 と言ってくれたことに、どれだけ救われたことか。

 義母には、「お兄ちゃんの前では泣くな」と言われていましたが、二人でこっそり泣いたりもしました。 

そうやって、ハルを亡くした悲しみを癒してきました。

 4年近く経った今でも、辛いのは変わりないですが、

 きっと、ハルは近くにいて見守ってくれている。

 そう私は思って、日々過ごしています。